私たちは大きな循環の中で動いています。
命を見送ることも見送られることも循環です。
他者から得られるものを、たくさん感じることが出来るように育つことこそ、成長であって生きている意味だとかんじました。
今朝の出来事
道路でひかれて、雨に打たれて横たわっている動物を見つけました。
僕は猫かと思い車を止め引き返して拾いに行くと、その子は猫ではなくイタチでした。
顔をはねられたようで顎が砕け眼球が出ています。
イタチと猫・犬・人、は何が違うでしょうか…
野生で生きている生き物は皆、生きるために生きています。
人と暮らすことを望んでいるわけではありません。
しかし、人と暮らすことをができれば食と住処が与えられ生きていくことができるからきっと幸せでしょう。
生きていくことに精一杯だった野生の生き物が、人に食と住処を与えられて過ごす事は、まさに生きているそのものです。
食と住処を与えることは、生きるために生きる動物の、生きる目的を与えること。
ものすごく重要なことをすることになります。
飼うならば自分の命よりも、その子の命を大切にする気持ちがなければ飼ってはいけないという思いに至りました。
だけども、目の前で理不尽に殺されたり、死んでいく動物たちを救うことができるのであれば、ふつつかながら、感謝を持って手を差し伸べたいと思います。
ぼくは、殺処分が無くならないなら、人が動物を飼うことをやめたほうがいいと思っています。
人が責任を全うできず、他者への思いやりがない今、全てを引き受けた家族動物の放棄が行なわれ、当たり前のように殺処分するシステムが存在しています。
これは命の循環とは違います。
尊敬と愛と感謝をもって一緒に過ごし見送る。これができる人間社会になってこそ人は幸せになれます。
人が変わることで動植物がそれぞれの命を、力強く全う出来るようになるのではないかと思います。
「Happy Partner」/「Happy Choice」を始めてから数多くの奇跡に出会います。
犬猫の殺処分を止めるための毎日は、お金をもらってもできるものでは無いと言われます。
僕もそう思います。
そして好き好んで自分のお金を使ってボランティアをする人など少数派であると知っています。
このような少数派の皆さんと出会って1日をありがとう、と言って過ごす事はとてもありがたいことです。
犬と猫だけ幸せになればいいと活動したとしても、犬や猫を幸せにしたいと願える人は幸せになっていくし、共感して寄って来られる方々も、他者の幸せを願える人となって幸せになっていきます。
そうして犬や猫からたくさんの学びを得られる人が増えていけば、今日もたくさんひかれたであろうイタチやタヌキだって、尊敬と愛と感謝を持って見送られるはずです。
見送るほうに大切な大切なものを教え、旅立っていくいのち、イタチを見送った僕が学んだことは、いのち 想い 念 お金の循環のこと…今日もありがとうございます。
Happy Choice 代表:田口 尚也
(岐阜市動物愛護推進員)
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